あた日記

おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり

2023.09.14 串うち3年、裂き8年、焼きは一生

せっかく名古屋に住んでいるのだから美味しいひつまぶしが食べたい。名店と呼ばれているところも多いが結局どこの鰻屋が美味しいのだろうと食べ歩いていた時期がある。予約ができるとか行列が短い、コスパがいい、パリッと焼けているとか人それぞれ基準はあるだろうが、個人的に1番美味しいと思ったのは鶴舞のうな富士だ。柔らかすぎず焼きすぎず、薄味過ぎず辛すぎず、食べていて鰻の骨が気にならない。鰻の美味しさが1番感じられると思う。まあ食べ歩いていたのは4-5年前なので各店の変化もあるだろうがここを贔屓にしている。昨日久しぶりにうな富士で鰻をいただいたのだがなんだか味が落ちた気がした。行列も以前より短い。行列に関しては経営者が変わり店舗数が増えたこともあるだろうが、味の変化もそうなのだろうか。十分美味しいのだがこれが名古屋で1番だと自信を持って布教できる感じではなかった。また食べ歩いてアップデートしなければいけないか。

2023.09.05 苦髪楽爪

苦髪楽爪:苦労しているときには頭髪が早く伸び、楽をしているときには爪が早く伸びるということ。

 

期間限定で請け負っている仕事がなかなかにしんどい。時間的な余裕もなく髪の毛を切りに行く暇もない。今までの仕事は随分と楽をさせてもらっていたので大違いだ。毎週金曜日の仕事終わりに爪を切って帰っていたのだが、今はその時間も惜しいというか以前の伸びるスピードより遅い気もする。苦髪楽爪とは昔の人は上手いことを言ったものだ。

 

四字熟語は僕が学生の頃はブイブイ言わせていて、試験や検定の為に随分と覚えさせられたものだ。当時、故事以外の四字熟語に違和感を覚えたものだが、Wikipediaによると「四字熟語」という言葉で定着したのは1985年以降で、クイズブーム等で広まったとのこと。お前全然歴史なかったんだな。。

2023.09.04 幽霊の正体見たり枯れ尾花

幽霊の正体見たり枯れ尾花:幽霊だと思って怖がっていたものをよく見ると、風にゆれる枯れすすきであった。薄気味悪く思うものも、その正体を確かめてみると、実は少しも怖いものではないというたとえ。怖い怖いと思うと、なんでもないものまでとても恐ろしく感じられるものである。

 

子供の頃に怖かったものって無知というか経験が足りなかったのだろうと思う。あとは躾的な意味を込めて親や世間が怖がらせていたというのもあるかもしれない。日本には妖怪という文化がある。あれは子供たちの倫理観を育てるのに役立っていたと思うし、科学の時代が益々進んでいっても役割を終えることはないのではないだろうか。話が脱線してしまった。大人になり、怖いものは人間くらいになった。腹を割って話しても分かり合えないことはある。アドラーは全ての悩みは人間関係にあるといった。なるほど的を射ているなと。これが怖くなくなることはきっとこの先もずっとないのだろう。

 

幽霊とかお化けって子供の頃は身近だった。おばけのホーリーとかゲゲゲの鬼太郎とか地獄先生ぬーべーとかという意味で。あとオカルト番組も多かった気がする。10年ほど前は妖怪ウォッチが流行っていたが最近は存在感が薄い気がする。まあ存在感のある幽霊とか妖怪ってなんだよって話ではあるのが。

2023.09.02 バタフライエフェクト

バタフライエフェクト:非常に小さな出来事が最終的に予想もしていなかったような大きな出来事につながる。

 

先日同僚が他部署の部長から高圧的な態度で仕事の依頼されていた。最近好意でその部署の手伝いをしているのだが、部長曰く、その仕事とこの仕事はセットだからやってもらわなくては困るとのこと。引き受けそうになっていたので僕は強引に割り込み、その会話に加わった。話を聞いていると前任が善意でやっていただけで内容的にもセットではなく、そちらの課員でこなせる業務だった上に、こちらの上長に話もせずに直接言われても困る。ただ緊急時など手伝うこともできるので上長を通して正式に依頼してほしいという旨を伝えた。なにやら捨て台詞を吐き捨てて部長は立ち去り、その日は終わった。結局その仕事は誰がやるんだろとモヤモヤした気持ちで過ごしていたのだけれど、我々の上長どころか更に違う部署を巻き込み、社長を巻き込み、他社と得意先まで巻き込む話となっていた。その部長が部内の管理認識不足だったのはひとまず置いておくとして、我々の上長を通じて依頼すればこじれなかった話が予想もしていないレベルまで大きくなってしまった。少しだけバタフライエフェクトみを感じる出来事だった。

 

特にオチも思いつかないので、フランス語では蝶も蛾もパピヨンとか、蝶の助数詞は頭とか、バタフライに対する薄い知識を書き記して今日は終わるとする。

2023.08.31 吾唯足知

吾唯足知(われただたるをしる)。京都にある龍安寺のつくばいに書かれている言葉で、自分にとって必要な量やものを知り、それで満足することという意味だ。20代の頃はTHE BLUE HEARTSの歌のように、あれも欲しいこれも欲しいもっと欲しいもっともっと欲しいと思っていたのだけれど、40歳手前にしてそうでもなくなってきていると感じる。自分自身の伸び代の無さを感じた結果なのか現状にあまり不満がないからなのかは分からない。ネイティブ・アメリカンの言葉で「必要なものは向こうからやってくる」というものがある。果報は寝て待てではないが、今を楽しみながら肩肘張らずに等身大でのんびりといきたい。

 

そういえばサマージャンボ宝くじが外れていた。今は何億というお金は必要ないということか。いやめちゃくちゃ欲しいですけど。。